e-ネ!スポーツ撞

スポーツ・パラスポーツ(障がい者スポーツ)・ビリヤード
を専門に関連した話題や情報を掲載しています

    カテゴリ:武道・格闘技 > プロレス


    (出典 www.tv-ranking.com)


         

    天山 広吉(てんざん ひろよし、1971年3月23日 - )は、日本の男性プロレスラー。京都府京都市出身。血液型O型。新日本プロレス所属。本名および旧リングネームは山本 広吉(やまもと ひろよし)。 京都市立北野中学校、京都府立山城高等学校卒業、学生時代はボディビルとバスケットボールに打ち込み、新
    62キロバイト (8,407 語) - 2019年1月25日 (金) 06:20

    天山広吉、飯塚の引退に涙…最後まで改心に至らず「二度とオレの前に姿表すな」 天山広吉、飯塚の引退に涙…最後まで改心に至らず「二度とオレの前に姿表すな」
    …→体固め)鈴木みのる、タイチ、飯塚高史●(21日、東京・後楽園ホール、観衆1726人札止め) 天山広吉(47)が飯塚高史(52)の引退に涙を流した。 …
    (出典:格闘技(スポーツ報知))

         


    【《衝撃》プロレス タッグマッチ戦で天山の目に涙・・・一体何が?最後まで届かなかった思い】の続きを読む


    (出典 www.joqr.co.jp)

    田上 (たうえ あきら、1961年5月8日 - )は、日本の実業家、元プロレスラー、元大相撲力士。身長192cm、体重100kg。大相撲力士 - プロレスラー時代は身長192cm、体重120kg。プロレスリング・ノアの運営会社ノア・グローバルエンタテインメントの元相談役。
    20キロバイト (2,869 語) - 2019年1月24日 (木) 11:35


     全日本プロレスが誇った四天王の一角、田上明も引退から5年がすぎた。昨春には胃がんにより胃の全摘手術を受けたが、経過はおおむね良好の様子。現在は茨城県つくば市で経営する『ステーキ居酒屋チャンプ』で、松永光弘直伝のステーキを焼いているという。
    ※ ※ ※

     四天王プロレスというときに、三冠王座を頂点とした個々の対戦を思い浮かべるファンは多いだろうが、一方でタッグマッチこそがその究極とする声もある。
    「とにかく大技を連発する内容なだけに、どうしてもシングル戦だと試合中に間が空いてしまう。なんなら30分近い試合時間のうち、10分ぐらいはどちらかの選手がリング上で倒れ込んでいると感じるほどで、タッグマッチなら片方の選手が大技を食らって“休憩”している間も、もう一方が戦いを続けることになる。そうやって休みなく戦いが続くという点から、タッグの方をより面白く感じるファンはいたでしょう」(プロレスライター)

     三沢光晴小橋建太組と川田利明&田上明組の頂上対決は、対戦回数がそこそこ多いため“この一戦”を選ぶのは難しいが、テレビ解説のジャイアント馬場が「言葉もありません」と絶句したほど、そのタッグ戦においてひときわ力を発揮したのが田上であった。
    「田上は1996年三冠王座獲得、チャンピオン・カーニバル優勝と個人でも結果を残した上、世界タッグ王座獲得、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝というグランドスラムを達成したにもかかわらず、プロレス大賞MVPに選ばれなかった(MVPは小橋)。190センチ超の巨躯ゆえに四天王の中ではスピード感に劣り、人気面においても一歩引けを取っていたことは紛れもない事実です」(同)

     シングルプレーヤーとしてはかように印象度で劣ったものの、タッグではそうしたマイナス部分がカバーされると同時に、“田上火山”とも称された爆発力が一層際立つことにもなった。

     川田の激しい攻めと田上のダイナミックな力業という異なる個性のマッチングもよく、三沢や小橋がそれぞれパートナー秋山準ジョニーエースへと代えていったのに対して、川田&田上組は’93年の結成から’00年に田上がノアへ移籍するまで続くことになる。

     川田&田上組による世界タッグ王座の戴冠6回は歴代最多、世界最強タッグ決定リーグ戦でも同コンビで2度の優勝を果たしている(’99年は川田の負傷欠場により、田上はスタン・ハンセンとのコンビで出場して準優勝)。
    「とはいえ田上が特別に努力したわけではなく、たまたま持ち味がフィットしただけというのが面白いところ。仮にタッグエキスパートを目指していたなら、ノアでも誰か別のコンビで成功したでしょうが、そういうこともなかったですからね」(同)

    大相撲時代から有名な練習嫌い
     田上のプロレス人生には、とかく偶然が付きまとう。大相撲廃業後、当初は長州力率いるジャパンプロレスへの入門となったが、長州の新日本プロレス復帰に伴い分裂。田上は全日に引き取られる格好となった。

     そこで馬場に目をかけられ、抜擢を受けながらもしばらくパッとしない時期が続いたが、SWS移籍による大量離脱が発生。このとき谷津嘉章を失ったジャンボ鶴田から、タッグパートナーに指名される。

     しかし、なおもふがいない試合が続いたため、試合後に鶴田からビンタをかまされたこともあった。
    「それでも中堅以下に落とされることがなかったのは、選手の頭数が不足していたこともあるし、同時に超世代軍の三沢らがまだ力量不足であったことから、強すぎる鶴田の“ハンデ”として田上が起用されていたことは否めません」(同)

     その後、肝炎発症により鶴田が戦線離脱すると、思わぬかたちで田上が正規軍のトップに立つ。そこに“三沢超え”を宣言して超世代軍を離れた川田が加わり、正規軍ならぬ“聖鬼軍”なるユニット名が冠せられた。

     ファンからは明らかに三沢&小橋らが支持されており、田上&川田を正規軍と称することには、ファンのみならず団体関係者やマスコミにも違和感があったのだろう。
    「そもそも田上自身、上昇志向が希薄で大相撲時代から有名な練習嫌い。それでいながらなぜトップの座を維持できたのか。体格に恵まれていたとはいうものの、田上とほぼ同サイズで同期入団、大相撲でも同じく十両だった高木功と、これほどの差がついたのはやはり巡り合わせとしか言いようがありません」(同)

     欲望丸出しのギラついた選手が多い中、田上のような自然体のレスラーは、逆に貴重な存在であったと言えようか。

    田上明
    ***************************************
    PROFILE1961年5月8日生まれ、埼玉県秩父市出身。
    身長192㎝、体重120㎏。得意技/のど輪落とし、オレが田上。

    文・脇本深八(元スポーツ紙記者)



    (出典 news.nicovideo.jp)

       

       


    <このニュースへのネットの反応>

    【《プロレス》四天王寺の一角「田上明の人生とは・・」 つくば市でステーキ居酒屋やってます。】の続きを読む


    (出典 news.nifty.com)
    大仁田 (おおにた あつし、1957年10月25日 - )は、日本のプロレスラー、政治家、タレント、俳優。長崎県長崎市出身。元参議院議員(2001年 - 2007年)。身長181cm、体重77kg。弟(異父弟)は大東文化大学法学部教授の松原孝明。2012年に現役プロレスラーとしてヘルパー2級を取
    67キロバイト (9,060 語) - 2018年11月17日 (土) 15:39




     大谷翔平の“二刀流”が大きな話題を呼んだ昨年のスポーツ界だが、プロレスにおける二刀流でその筆頭に名前が挙がるのは、もちろん武藤敬司グレート・ムタということになるだろう。

     武藤とムタの両方でIWGP王座と三冠王座を獲得するなど長きにわたって実績を築き、また、プロレスファンから高い支持を得たのは、ひとえにその飛び抜けた才能によるものと言えよう。

     「身体能力の高さはもちろんながら、動きの一つ一つに華があるんですね。言葉にするのは難しいのですが、とにかくリングに上がれば、それだけで観客の視線を一身に集めてメインイベントの雰囲気を醸し出す。そんな選手はなかなかいるものではありません」(プロレスライター)

     武藤&ムタが共存できたのも、その天才性の賜物であろう。
    「例えば、大仁田厚のグレート・ニタなどは、ちょっと奇矯な動きをしたところで、観客からは『いやいや、あんた大仁田じゃん?』とあざ笑われたりもする。それを感じさせないのが武藤&ムタのすごいところです」(同)

     日本人トップスターの武藤とアメリカトップヒールのムタでは、あくまでも別のキャラクターであって、毒霧などの反則技はもちろんのこと、ステップひとつを取ってみてもまったく異質のものである。なので、同じムーンサルトプレスを使ったときにも、ガラリと違った印象となる。

     それをいかにもキャラを装った風ではなく、自然にやってのけるからファン違和感なく受け入れられる。

     アメリカにおけるギミックで人気を獲得した日本人レスラーには、TAJIRI(田尻義博)やKENSO(鈴木健想)、ザ・グレートカブキ(高千穂明久)、キラーカーン(小澤正志)、そしてジャイアント馬場(ババ・ザ・ジャイアント)がいるものの、いずれも素顔との両立を目指すことはなかった。

     そもそも、そんなことはできるわけがないというのが常識的な考え方であり、それをやってのけた武藤が型破りなだけなのだ。

    ネガティブ面の転嫁による得失
     武藤がパワーアップしてムタに変身するわけではなく、それぞれ独立したキャラクターであることも、また二刀流が成功した要因であろう。

     仮に“武藤が敗れた相手にムタとなってリベンジする”というパターンを定番としていたならば、ムタが負ければもう後がなくなってしまうが、建前上は別物なのだからそういう問題は生じない。武藤は武藤、ムタはムタとしてそれぞれにストーリーが成立することで、ファンからすると単純に楽しみが2倍になるし、マッチメーカーからしても使い勝手がいい。

     プロレスに限った話ではないが、人気商売を長く続けるうちには必ずマンネリという壁にぶち当たる。しかし、武藤はムタとの使い分けによってこれを避けることにもなった。

     とはいえ、そのことは必ずしもプラスばかりであったとも言い切れない。同じ闘魂三銃士である橋本真也などは、常にスランプに見舞われてきた印象もあるが、それを乗り越える姿を見せることで共感を呼び、このことが熱心なファンの獲得にもつながった。

    「武藤の場合、素顔の武藤がスランプとなってもムタを登場させることでリカバリーしてきた面がある。これは常にベストファイトを見せるという意味で、プロとしては素晴らしいことには違いないのですが、ファンへの求心力という意味ではどうだったか」(同)

     武藤を“天才”“プロレスリングマスター”と褒めたたえ、その試合を心待ちにするファンは多いものの、その一方で“信者的なファン”の数となると橋本の方が上回りそうだ。

     また、ムタはアントニオ猪木に対してさえ反則放題をやってのけ、また、柔道から転向直後の小川直也にも完勝しているが、それはあくまでもムタとしての実績であって、武藤のキャリアとは直接には関係してこない。

     『WRESTLE−1』でのボブ・サップ戦やハッスル参戦など、きっと素顔の武藤ではやりたくなかったであろう試合をムタに任せることは、武藤の履歴に傷をつけないという意味ではよかったかもしれないが、しかしながら、あえてそういう試合に挑むことが、プロレスラーとしての奥深さにつながることも往々にしてある。

     つまりネガティブな要素をムタに負わせたことが、逆に武藤本人のレスラーとしての幅を狭めてしまった部分もありそうで、いやはやプロレスとはなんとも難しいものである。

    武藤敬司
    ***************************************
    PROFILE1962年12月23日山梨県富士吉田市出身。身長188㎝、体重110㎏。
    得意技/ムーンサルトプレス、シャイニングウィザード

    文・脇本深八(元スポーツ紙記者)



    (出典 news.nicovideo.jp)

       

       


    <このニュースへのネットの反応>

    【【二刀流の器】プロレス界では、やはり「この人」だろう!大仁田厚では少し違う気がする】の続きを読む


    アイドルプロレスラーの両刀遣いで活躍する4人組グループアップアップガールズプロレス)」(以降アプガ(プロレス))が12月31日、渋谷GARRETにて初の単独ライブアップアップガールズプロレスプロレス女祭り』を開催した。

    ミウ、ヒカリ、ヒナノ、ラクのメンバー4人は、アイドルとしてライブ活動を行い、プロレスラーとして東京女子プロレスリングで試合を行なっている。2018年1月に後楽園ホールリングデビューして1年。満を持して行なわれた記念すべき初単独ライブでは、彼女たちの持ち味を発揮すべく、熱いライブステージプロレスバトルの両方が繰り広げられた。

    後方までぎっしり満員となった会場は、アプガ(プロレス)のメンバーが登場すると一気に熱気があふれた。ミウが、「初の単独ライブ、今日は頭がおかしくなるくらいアッパーキック!していくぞ!」と雄叫びをあげ、オリジナル曲『アッパーキック!』でライブスタートした。

    ライブは冒頭から異様な盛り上がりをみせ、ラクは最初の自己紹介ですでに感涙し、「人生を振り返って、2018年12月31日が、一番楽しかったと思えるライブにしたい」と意気込みを語った。

    昨年8月のステージデビュー以来、『アッパーキック!』1曲だけでさまざまなライブを戦ってきたアプガ(プロレス)だが、今回のライブでは新バージョンを初披露。よりハードになった『アッパーキック!(Rock ver.)』に加え、『アッパーキック!(HipHop ver.)』では“YO!YO!”と煽って観客を盛り上げた。

    ライブ中には、マットプロレスによる試合も行われ、リングアナを務めた姉妹グループアップアップガールズ(2)の鍛治島彩の口からメンバーの新リングネームが発表された。ミウ、は“渡辺未詩”、ヒカリは“乃蒼ヒカリ”、ヒナノは“ぴぴぴぴ ぴなの”、ラクはひらがなで“らく”と名前を改めた。

    第1戦は『ぴぴぴぴ ぴなの&らく vs 大石真翔&ハイパーミサヲ』のタッグマッチ。小賢しい大石の攻撃に手を焼きながらも、ぴなのはエルボースマッシュ、らくは必殺技おやすみエクスプレス”を繰り出す。だが最後は、大石のつば攻撃から、らくが丸め込まれて、ぴなの&らくは惜しくも敗戦。

    第二試合は『渡辺未詩&乃蒼ヒカリ vs 山下実優&中島翔子』。冒頭から両軍入り乱れ、客席にも雪崩れ込む白熱した展開となった。途中、ヒカリダメージを負って渡辺が一人で応戦し、劣勢になる場面もあったが、ヒカリマットに戻りダブルで締め技を決めるなど見せ場を作った。しかし山下は、ヒカリキックを連続でヒットさせ、チャンピオンらしく悠然と勝利をものにした。

    試合を終えたあとはライブ後半戦に突入。自己記録を更新する6回連続の『アッパーキック!』を投下する。同じ曲を何度も歌い続けることで、メンバーも観客もナゾの高揚感がどんどんアップメンバージャンプも天井に到達するほどの打点の高さを見せる。結果的には、会場はエネルギーたぎりまくりの灼熱空間となった。

    そして最後は、これまた初披露となる『アッパーキック!(Bossa ver.)』をゆったりとしたアレンジで歌唱し、心地いいムードを作り上げてライブ本編は終了となった。

    観客の強烈なアンコールに応えてステージに戻ったアプガ(プロレス)は、遂に新曲『アッパーチョップ!』を初披露。PandaBoYが作詞作曲、アップアップガールズ(仮)の古川小夏が振り付けを担当したこの曲は、アプガ(仮)の『アッパーカット!』、アプガ(プロレス)の『アッパーキック!』の系譜を継承し、さらにアップリフティングになったナンバー。サビの“チョップチョップ!”の連呼で観客は大ヒートアップとなった。

    汗だくのメンバーは、ここで初ワンマンの感想をメンバーが述べていった。

    「みんなに新しいコスチュームを見てもらえて、新しい名前も公開できて、『アッパーチョップ!』も聴いてもらえて、ほんとに幸せな平成最後の大晦日でした!」(ぴぴぴぴ ぴなの)

    「私は、正直アイドルをやるのが苦手で、新曲もダンスができるか不安だったんですけどなんとか踊れました。自分のわがまま聞いてもらってマットプロレスまでできて、しかも私たちのためにこんなにたくさんの人が集まってくれてすごくうれしいです。これからもがんばります!」(乃蒼ヒカリ

    「まず、初披露の衣装いかがでしたか? 私は、最初に単独ライブをやると聞いたときは、こんなにたくさんの人が集まってくれると思わなかったので、最初の『アッパーキック!』のイントロの段階で泣いてしまいました。あと、念願のアプガ(プロレス)の『Overture』も作っていただけてうれしく。ほんとに、改めてアイドル目指してよかったなと思いました。何より、みなさんがいなかったら、今、私はアイドルとしてここにいることができてないので、ほんとに感謝しています!」(らく)

    「私たちはアイドルプロレスをやっていて、いろいろやってみたい夢はあったんですが、正直単独ライブができるとは思っていませんでした。10月に発表されてから不安もあったんです。私たち一人一人の個性が強くて、それぞれが夢も近い目標も持っています。そんな私たちが、ひとつになってこうしてライブを作ることができて、そしてみなさんと一緒に狂ったように盛り上がれてほんとにうれしいなと思います。2018年は、プロレスラーデビューに始まり初の単独ライブで終わりますが、2019年もよろしくお願いします!」(渡辺未詩)

    ラストは、らくが「私たちにとって、ほんとに大切な新しい1曲です。心を込めて歌います」と語り、michitomoが手がけたもうひとつの新曲『負けたくない』が披露された。悔しさをバネに戦い続ける気持ちを歌ったキャッチーなロックチューンを、笑顔と元気さを爆発させて観客に届けライブはフィニッシュを迎えた。

    アップアップガールズ(プロレス)初単独ライブ


    (出典 news.nicovideo.jp)


    <このニュースへのネットの反応>

    【アプガ(プロレス)、初の単独ライブで超満員の観客をノックアウト】の続きを読む


    RIZIN
    RIZIN.14』
    12月31日 さいたまスーパーアリーナ 観衆 29,105

     バーバラ・ネポムセーノをパンチで圧倒しV1アームロックで快勝したギャビ・ガルシアに、“ミスター女子プロレス神取忍が噛みついた。神取とギャビは過去2回対戦が組まれていたが、1度目は神取が怪我で欠場し、女子プロレスラーの堀田祐美子が代打で対戦。2度目は昨年末、ギャビが計量に失敗したため、対戦が流れていた。2人は昨年末、リング上で対戦を約束。再戦の場が注目されていたが、ギャビのRIZIN復帰戦となった今大会ではマッチメイクされなかった。

     リングサイドで井上貴子、遠藤美月のLLPW-X勢とともに試合を見届けた神取は、試合数、マイクを握ると「逃げんな、やれよ。みんな見たいだろ。やれよ。今やってやるよ、逃げてんじゃねぇよ」と貴子、遠藤やRIZINフェリーに制止されながらもリング内のギャビに掴みかかろうとする。

     ギャビは「私は神取選手を心から尊敬しています。私は戦う用意はあります」と答えたが、それでも神取は「いつでもやってやる」となかなか引き下がらない。これを見たギャビはかまわず「もう誰からも逃げません。誰でも向かってきてください。ギャビ・ガルシアは戻ってきました。誰でもいつでも戦います。女子のヘビー級のベルトをお願いします」と一方的に話を切り上げた。

     試合後の会見で、ギャビは神取戦について「まず最初に、神取忍選手のことはアスリートとしてリスペクトしています」と前置きし、「去年、確かに対戦は流れてしまって、神取忍選手もフラストレーションを抱えていることは容易に想像がつきます。私は対戦相手を選びません。誰とでも、やれと言われたら私はやります」と述べた。

     その上で「でも神取選手に限って言えば、彼女と対戦する予定のときに負傷し、代理(堀田)を送ってよこし、私はその相手をKOで下しました。そしてまた今回、神取さんがやりたいと言っているわけですね。私は全然問題ないんですけど、私とやるならそれ相応の覚悟が必要だと思っています」と指摘。

     「やれと言われたら誰とでもやります。でも私が思うのは、『やりたいやりたい』という人はいくらでもいる。でも、最後のホントの本番間近になるとシッポを巻いて逃げる人がけっこういると思っています。チャレンジすることは簡単かもしれないけど、リングに上って対戦するというのはまた違う話。私はいつでもどこでも誰とでもやります。神取選手についても全く同じです」と答えた。彼女の話を総合すると、神取戦に“積極的”なスタンスではないようだ。

     榊原信行実行委員長は総括会見で「ギャビは強すぎて、考えなきゃダメですね」と対戦相手や階級も含めて、今後の起用法については熟慮するとした。神取については「僕は格闘技に求められる要素は『笑い』だと思っているんです。笑いがないと格闘技はつまらない」と持論を展開。「神取忍はスゴイ。54歳ですよ。きょう彼女が来たのはただの話題作りじゃなくて、本当にギャビとやりたいんです。僕にも肩の怪我は問題なく『いつでもギャビとやれる』と真剣に言ってきた。ただこの試合こそ安全面が心配」とギャビとの対戦については慎重を期す考えを明らかにした。

     それでも榊原実行委員長は「ただ、とてもいいアクセントになった。日本のプロレスラーは捨てたもんじゃないなと思いましたね。最高でした」と神取の行動を称賛している。RIZINは今年、神取とゆかりの深い横浜アリーナで2回大会を予定しているだけに、今後の展開も見逃せない。神取にとって悲願のギャビ戦は実現するのか?注目していきたい。

    取材・文 / どら増田
    写真 / 山内猛

    神取忍、ギャビ・ガルシア


    (出典 news.nicovideo.jp)


    <このニュースへのネットの反応>

    【《女子プロレス》ギャビ「神取選手を尊敬している」と発言するも、神取選手 引き下がらずwww】の続きを読む


    現役引退から20年近くになる今もなお、その動きに注目が集まる前田日明。伝説的な名勝負も数多く、当時からの信者的ファンがいる一方で、偏執狂的アンチも少なくない。
     しかし、賛否両論が渦巻くのも、それこそスターの証明とも言えようか。
    ※ ※ ※
     日本のプロレス界で“カリスマ的存在”といったときに、アントニオ猪木と並んでまず名前が挙がるのが前田日明だろう。

     熱心なファンは自ら「前田信者」と言ってはばからず、同時にアンチが多いのも猪木と同様だ。アンチ前田の言い分の一つに、「大言壮語を吐くくせに本人は真剣勝負をしたことがない」というものがある。これを裏付ける関係者の証言もいくつか見られる。

     1986年、初の異種格闘技戦で勝利を収めて新・格闘王の呼び名を得た前田だが、この対戦相手のドン・中矢・ニールセンは後年、この試合についてショーとして盛り上げることを依頼されたとしている。

     極真空手出身のジェラルド・ゴルドーも、’88年に第二次UWFで前田と対戦した際には「事前にリハーサルがあった」と述べている。

     エメリヤーエンコ・ヒョードルとの試合を前田に酷評された永田裕志も「あの人は格闘技プロレスも中途半端」「俺のヒョードル戦とあの人のニールセン戦を一緒にされたくない」と、暗に前田がこれまでにプロレスの範疇の試合しかしてこなかったことを指摘している。

     では、こうした前田批判が的を射たものなのかといえば、必ずしもそうとは言い切れない。総合格闘技の概念が一般的になったのは90年代半ば以降のことだが、それ以前の前田はそもそも昨今に言われるような意味での真剣勝負を志向していたわけではない。
    「第一次UWFで競技志向の佐山聡を批判し、皆が食っていくための興行優先を唱えたのが前田です。この当時の前田の目指したものはあくまでも“強いプロレスラー”であって、決して格闘家になりたかったわけではありません」(プロレスライター)

     前田自身も、若手時代にアントニオ猪木から聞いた「いつかスポーツとして恥ずかしくない戦いを実現させる」との言葉をそのまま受け止め、それに向けてやってきたとの発言をしている。

     つまり、プロレスラーが「すごい、強い」と世間から尊敬のまなざしで見られるような状況こそが前田にとっての理想であって、少なくとも第二次UWFの頃まではプロレスを捨てて格闘競技の道へ進む意図はなかった。セメントシュートを志向していたというのは、あくまでも周囲がそう思っていたというだけにすぎないのだ。

     振り返ってみても前田が新日vsUWFでの中で不穏な空気を見せたのは、唯一、アンドレ・ザ・ジャイアント戦ぐらいしかない。

    「そのアンドレ戦も、最初に不穏な態度を見せたのはアンドレの方です。新日を離れる直前だったアンドレが何かしらの意図によって“仕掛けて”きたのに対して、前田は自衛しただけですからね」(同)

    ★現代の基準とは異なる勝負哲学

     蹴りや関節技を前面に出し、ロープに飛ばないなどの形こそは目新しかったが、プロレス界の掟に反することはしていない。
    「ニールセン戦については微妙なところで、あれは言うなれば昭和版の小川直也vs橋本真也です。藤波辰爾長州力の名勝負数え唄を“マンネリでつまらない”と、札幌テロリスト事件を指示したのと同じように、前田のUWFで、スタイルに活を入れようとの意図からのものでした」(同)

     ニールセン本人も興行としての盛り上げを依頼されたとは語っているが、事前の試合展開の打ち合わせについては否定している。

     ニールセンが勝ちにこだわっていれば、前田がガードのできていなかった顔面へのパンチ狙いに徹することもできたはずで、その意味では現代基準の真剣勝負とは異なるかもしれない。しかし、筋書きの決まった試合でなかったことは確かであり、そこで前田は堂々とUWFスタイルで勝利してみせた。

     新日側にも前田をつぶそうという意図はなく、勝てばOK、負けても惨敗でなければ“リベンジ戦で二度おいしい”ぐらいのものであったのではないか。

    「猪木が前田を後継者の筆頭に考えていたことに違いはない。ただ、まだあの頃はテレビ朝日や興行関係者からは、前田の看板だけでは弱いと見られていたし、猪木自身もアントン・ハイセル事業の借金返済のため一線から退くわけにはいかなかった」(新日関係者)

     その後、長州への顔面蹴撃事件が起こるなど巡り合わせも悪かった。その後、新日を離れてからの第二次UWFでも、大筋としては新日での戦い模様の延長であり、ゴルドー戦も「興行トップとしての責任」を果たすためには当然のことをやったまでなのだ。

     前田が真剣勝負から逃げていたというわけではない。そもそも今の基準で言うところの真剣勝負を目指していなかったのだから、そこを批判しても意味がない。むしろ本人の意図にかかわらず、真剣勝負の空気を漂わせていた前田の存在感こそ、賞賛すべきではないか。

    前田日明
    ***************************************
    PROFILE1959年1月24日大阪府大阪市出身。身長192㎝、体重115㎏。
    得意技/キャプチュードフライング・ニールキック

    文・脇本深八(元スポーツ紙記者)



    (出典 news.nicovideo.jp)


    <このニュースへのネットの反応>

    【プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「前田日明」常に真剣勝負の空気を漂わせていた“新・格闘王”】の続きを読む

    女子プロレス

       

    で募集して里村がコーチとして1から育成することとセンダイガールズ内での所属選手同士の対戦は基本的に行わず「エネミー」と称するフリー、他団体の選手を招聘して「外敵を迎え撃つ」と言うコンセプトで従来のプロレス団体との差別化を図っている。 センダイガールズは入門3年間に限って「男、酒、たばこ」を「三禁」
    9キロバイト (893 語) - 2018年11月19日 (月) 08:02



    (出典 sendaigirls.jp)



       




    【【仙台】 センダイガールズプロレスリング★16 【動画 里村明衣子】】の続きを読む

    no title

       

    大仁田 (おおにた あつし、1957年10月25日 - )は、日本のプロレスラー、政治家、タレント、俳優。長崎県長崎市出身。元参議院議員(2001年 - 2007年)。身長181cm、体重77kg。弟(異父弟)は大東文化大学法学部教授の松原孝明。2012年に現役プロレスラーとしてヘルパー2級を取
    67キロバイト (9,060 語) - 2018年11月17日 (土) 15:39


       




    【【どうする?】大仁田厚、貴ノ岩よ「こっち来い」wwwww】の続きを読む

    男子プロレス


    (出典 upload.wikimedia.org)



    1 お前名無しだろ :2015/05/19(火) 23:25:29.37 ID:aloyvuGo0.net

    プロレス。

    昔はスーツ着た人が見ても満足できる、大人向け格闘ショーだったのが、
    今ではすっかり子供向け戦隊ヒーローものになってしまった。

    いや、子供向けどころか、子供だましにもならないかも。


    【◆今のプロレスには真剣味が無い◆】の続きを読む

    このページのトップヘ